さて気を取り直して久々の書評です。アガサクリスティの「春にして君を離れ」です。
これはミステリーの形式をとりつつも、探偵小説ではありません。ラブストーリーなんていう人もいるけど、私にとってはホラーです。読み終わって薄ら寒くなりました。解説で栗本薫さんが「哀しい小説であり恐い小説だ」と書いていましたが、まさにそうでした。
秀逸です。あまりに面白いので一気に読んでしまいました。
いわゆる勘違い女が主人公です。自己愛が強く、自己満足的で周囲に自分の意見を押しつける主婦です。彼女は弁護士の妻でプライドが高く、周囲の人間をどこか見下している女です。ゆえに家族とも軋轢があります。そんな自分の本性に気づかず、自分では周りの世話を焼いて苦労していると思っている、勘違い女。
娘夫婦のいるバグダッドを訪れた際、主人公は女学校以来の同級生としばらくぶりに偶然再会します。主人公が裕福な奥方に収まった一方、級友は身を持ち崩して落ちぶれています。級友を見下す主人公と、鼻持ちならない彼女に対して辛辣な口をきく級友。
イラク暮らしの級友は、主人公の娘が母親に反発していたこと、主人公の夫が浮気をしていたことを示唆します。自己満足的で、都合の悪いことには蓋をしがちな主人公の心は、級友によって風穴を開けられます。そして、国へ帰る列車が途中で立ち往生した数日間、主人公は自分を内省し、真実に気づき始めます。
ホラー作家のスティーブン・キングが、単に怪奇の描写だけではなく、人間模様も描いていたように、クリスティーの人物描写も巧みです。単なる謎解きに終始していません。勘違い女の一人称を、彼女の独りよがりな目線で描いています。彼女の目線に立ちつつも、読者には彼女への反感を抱かせる巧さがあります。脇役も絶妙。勘違い女にかぎって、穏和で賢明な夫がいたりして、物語に皮肉のスパイスを振りかけています。夫が密かに思いを寄せるのが、主人公とは対照的な純粋で明るい女性というのもうなずけます。
勘違い女が自分では意識せずに、周りの人間を害しているという作品は、後世の日本の作品にも見られますよね。湊かなえの「贖罪」とか。こういうジャンルを最初に書いたのが、もしかしたらクリスティーなのかなと思いました。
栗本さん同様、私の周りにも勘違い女がいるので、余計に感情移入をしちゃったんですよね。
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