2010年09月17日

不思議な体験その2 呪い

不思議な体験シリーズ第二段です。

今回は「何故人を恨んではいけないのか」ということを、スピリチュアル学的な観点から解説しようと思います。道徳的な理由だけでは自分の感情を抑えられない人に向けて説きます。


人を呪わば穴二つ」という言葉をご存じでしょうか。これは、誰かを憎んで呪ったら、その思念が自分にもはね返ってきて、自分の身も滅ぼしてしまうということです。つまり、人を呪うのなら怨嗟の相手だけでなく自分自身の墓穴も用意せねばならないということです。

何も呪詛の類を用いずとも、人を憎むだけで心身がダメージを受けます。「激しい憎しみの感情は自分自身の心身を滅ぼす」と説けば、人は皆自分がかわいいから、その憎しみを手放すようにするでしょう。


私はこの説が真実であることを自分の実体験から悟りました。できれば皆様には体験して欲しくないことです。
昔、学生時代に私はある年上の女友達との間に諍いがありました。ケンカの子細にまでは言及しませんが、私は彼女への憎しみと怨みをなかなか手放すことができませんでした。あの時は、電車に乗っていてもアルバイトをしていても、悔しい思いが私の頭に巣くって離れませんでした。

数ヶ月経ってもその怒りは冷めやらず、ある夜、私はその元友達に向かって「呪いの念」を飛ばしました。ベッドに横たわっている時、フツフツ悶々と怒りが込み上げてきて、私は「あの女なんか死ねばいいのに!」と心の中で叫びました。

すると、どうでしょう。私がその念を発したすぐ後、窓の外にある暗がりからヒトダマのようなものがやってきて、窓を通り抜けて私の方へ来ました。それは私の心臓の中へスルスルと入っていくではないですか。

それは不気味な体験でした。

それから私の心臓が痛くなることはありませんでしたが、先日久々にスーパー銭湯に行ったんですね。で、入浴後に足つぼマッサージをしてもらったのですが、マッサージ師がある箇所を押すとものすごく痛いんです。足の裏は内臓に反射していますから、私が「お姉さん、そこはどこなんですか」とたずねると、マッサージ師さんは「心臓です」と答えるじゃないですか! なんか嫌な気分でしたよ。

今はまだ心臓疾患を患っていないけど、ぞっとする言葉でしたねえがく〜(落胆した顔) もし発病するようなことがあれば、病院の他にお祓いのお世話にもなろうと思います。


「憎しみを抱くな」とは言っても、人間、生活をしていれば人との付き合いの中で嫌な思いをしたり、諍いが起こったりします。
ものすごく嫌な上司に虐められている部下はどうしたらいいのでしょうか。恨まずにはいられないのに恨んではいけない、でも上司との関わりも持たざるをえない。それに対する一つの対処法があるようです。
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前の記事で取りあげた「引き寄せの法則」によると、ネガティブなことを考えれば考えるほど、ネガティブな出来事が実現してしまうそうです。つまりこの場合、上司のことを悩めば悩むほどイジメがエスカレートします。「虐められませんように」と願っても逆効果なんです。

以前、ヤフー知恵袋にもこのソリューションが投稿されていたので、抜粋してご紹介します。

OLの私はある嫌みな上司との関係に悩んでいました。彼の私に対する態度には我慢ならないものがありました。
ですが、私は彼のことを反面教師として感謝することにしたのです。彼のような人の存在が自分を鍛えていると解釈するようにしたのです。不幸な経験にも何か意味があり、自分を学ばせてくれているのだと。
すると不思議なことに、上司との関わりはなくなっていき、やがて彼は異動することになりました。
何の下心もなくこういう境地になれば、諍いは自然に去っていくということを悟りました。



自分の心を浄化することが人生が開ける契機になるのだと思います。スピリチュアルというのは奥が深いですね。私も良いことを学ばせてもらいました。ありがとう、投稿者さん。


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posted by 館主 at 01:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いじめにあって 鍛えられているとは 人は 思えないですね。いつか リベンジ どういう形で?因果を待つ。類同士 畜生 喧嘩 DV 地獄の姿〜
のろいの願かけは それを念じると 自身にもなる
他人 自己の幸せを 祈ればいいのだけれど。
あと 罰が当たれと 祈るのは のろいと似ている
相手が 気づきますようにとか 祈るらしい。
嫌な人も 多いですね。神仏は 教えをするだろうか。この世を地獄にするも 天国にするも 人次第かなぁ。資本主義 社会主義 いろいろあるけれど
Posted by 村石太マン at 2010年10月09日 19:50
村石さん、こんばんは。

>いじめにあって 鍛えられているとは 人は 思えないですね。>
確かに「鍛えられている」というのは語弊がありますが。スピリチュアリストの考えでは苦しい体験にも何か意味があり、その修行を終えた後に安寧(幸せ)が来るとのことです。これは私の持論ではなく、霊能者が「神仏がそう言っている」と言っているのです。

怨みを捨てるのは難しいです。嫌いな相手が理不尽な場合ならなおさらです。それを捨てる境地に至れるからこそ、何か悟れるのではないでしょうか。例えば煩悩を捨てるという言葉があります。

他人を怨み、攻撃し、嫌がらせをすると、自分自身にもはね返ってくるそうです。嫌がらせも後で倍返しだそうですよ。

私などの説よりも本を読んだ方が説得力があります。

苦労=修行と考えるのが嫌なら、ホ・オ・ポノポノなどの別の癒し方法もありますので、参考にしてみてください。

しかし村石さん。以前、私のパラレルワールドにもいらっしゃいましたね? リンクしてないのにこちらもご存じとは吃驚です。検索なさったのでしょうか。そしてあなたは文化人でもいらっしゃるようですね。ともあれこちらもコメントをくださってありがとうございました。
Posted by 館主 at 2010年10月10日 09:41
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