2006年04月16日

塩野七生-ローマの街角から

塩野七生はイタリアはローマ在住の歴史作家である。居住地からわかるように、書いているのは日本ではなくイタリア、正しくはローマの物語である。まあ、下世話な言い方をするとイタリア・オタクなのだが、たとえば私が知る好き勝手な英国通の文筆家たちとは違い、比較文化論や歴史にもっと通じている。先日書いたマークス寿子なんて、大したことは書かない。大学の先生だから傾聴してもらっているだけなのだ(とは言え私が彼女をけなしたくないのは、ひとえに思想コンパスが同じだからだ。こういう場合多少の欠点があっても、えこひいきをしたくなる)。


彼女が書くのはローマ時代に遡ってカエサルから始まり、ルネサンス期までのチェーザレ・ボルジアやマキャベリである。「ローマ人の物語」という一大シリーズを書いているのだが、これって美味しい着眼点だよなと思う。他の日本人はまだそういうの書いてないから。書ける人もまあいないだろうけど。

これは、日本の友人へ送る手紙です。『ローマ人の物語』の著者が贈る、発想を転換するための65章。日本の政治家への提言からサッカーの話題まで、知的刺激満載のエッセイ集。―アマゾンより引用

「ローマの街角より」というタイトルなので紀行エッセイと思いきや、塩野さんがローマより発信する主に日本の政治や日伊比較についてのエッセイである。

長文は避けたいので、まず面白かった事柄だけかいつまんで感想を述べる。
まず「ないものねだりはやめましょう」という章が面白い。日本には哲人政治家が必要だと説く声があるが、そんなものは無用だと塩野さんはいなす。そんなものは今後も現われないだろうと。
まず哲人政治家だが、これは「ない」ほうがよい。何故なら、哲学とは知と善の追求だが、政治とは知と善と、善と悪とのバランスをとることにある。プラトンが言ったからといって、すべてをよしとする必要はない。

なかなか興味深い言ではないだろうか?


次に共感したのは「英語を話すサルにならないように」という章だ。「英語が話せりゃいいってもんじゃない。英語はあくまでツールにすぎない」と塩野さんは説く。

英語に限らず外国語とは、第一に意思疎通、第二に、相手側の文化文明を理解するための手段ないし道具にすぎない。つまり、それをしたいとか必要のある人にとっては不可欠だが、その必要のない人まで強迫観念にかられた末、以後の人生を台無しにすることもないのである。
<中略>
ゆえに、外国語という「道具」を手にする前に習得しておくべきことは次の三つ。第一は哲学や歴史に代表される一般教養(英語でいうリベラルアーツ)を学ぶ事で育成される人格の形成。第二は、自らの言に責任を持つ習慣(←※これは塩野さんらしい説で面白い)。第三は、完璧な母国語の習得
これができていないと、いかに外国語が巧みでも外国語を話すサルになってしまう。外務官僚から帰国子女に至るまで、トフルならば軽く600点は取れるにちがいないこの種のサルが跋扈している。

私の大学時代にも帰国子女枠で入ってきた、外交官の息子がいた。英語ができるのを鼻にかけていたが、はっきり言ってそれだけが取り柄の男だった。そしてふたこと目には「日本は〜〜だからダメだ」などとぼやいていた。学内の外務省を目指すサークルに所属していたが、一般入試では大学に入れない人なので、公務員試験なんかに合格するのも無理というものだろう。案の定留年した。あんな連中に有利な別枠入試なんて施してやらんでいいと思うのだが。


そして最後の章で、もったいつけていたかのように、巻末で憲法改正について語っている。彼女はどちらかという少しだけ左寄りのような気がする。なんせ学生時代に運動をしていたくらいだから。そんな彼女の九条への意見は……--------------------

結論から言ってくれる彼女は「改憲すべし」と説く。ただしその理由はアメリカに押し付けられたからではない。彼女の改訂理由は二つある。
1.日本国憲法も、神が与えたものではないのだから改めるということ可能という、法の本来の姿に戻すことが、法治国家でありたければ重要であるということ。
2.神聖にして不可侵という考え方は、どのような形をとろうと人類に害をもたらし、しかも常に失敗に帰していたことは歴史に証明してもらうまでもない。十字軍、異端魔女裁判、ナチズム等々。

このような考え方は古代ローマ帝国の法典に照らし合わせてのものだ。

特に2番に思うところありの私だ。私が過去に書いた黄文雄についての書評に対して、ケンカを売ってきた護憲派のコメントをみてもらいたい。
〜そんなものは聖典だ!?〜

はあ〜ッ!?!?

そんなもの とはなんだ! 
あの条文を読んで気高い気持ちになれない人間は
心がくすんでいるんじゃねえのか??

この人物は自分自身が九条を聖典視していることに、自分で気づいていないのである。護憲派が、「九条という感動的な理念に共感しよう!」などと言って、護憲を説いているのであれば、本来の法律の役目を履き違えている。うまい形容詞が思いつかないが、カルト宗教の世界である。
法律は法律である。ヒューマンドラマや孝行話ではないので、感動する必要はない。そう言うと護憲派は「九条がたまたま感動できる条文であり、結果として我々は感動しているのだ。だから護ろうとも思うし」と反論するだろう。だが、仮に感動したとしても、だからといって変えてならないという理はない。「これを読んで感動しよう!」などという観念的で情に訴えるやり方は、政治を語る上で非論理的で非科学的であるし、まして「これを読んで感動しねえ人間は心が汚いなど」と決め付けるのは、カルト信者的な盲信である。感動しても良いけど、感動するとかしないとかの問題じゃないでしょうに。安全保障は、現実の国際関係を鑑みて決めることでしょうに。
護憲を説くならもう少しマシな理屈を並べて欲しいものだ。


塩野さんは小渕元首相と1対1で会談し、助言を求められるような知識人である。こう認知されるまでは、女性で大学教授でもない彼女は、昔同じ畑の男性教授に結構叩かれたらしい。古代の大帝国の歴史を紐解くことで、現代政治のこともわかるとは面白いことである。次回は全教組が学校で配りまくっている新聞について書こうと思う。


塩野さんの意見をより多くの人に読んでもらいたいので、どうか1クリックお願いします。 人気blogランキング


rome.jpg

posted by 館主 at 08:30 | TrackBack(1) | 読む/新書・随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

英雄は教えてくれる。
Excerpt: ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上)塩野 七生 新潮社 2004-0
Weblog: サラリーマンの成功に効く本。資産運用に、健康管理に、人間関係に、仕事に、自己啓発に役立てる。 - livedoor Blog(ブログ)
Tracked: 2006-04-18 20:06
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。