2010年10月22日

不思議な話4 神様の恩寵

不思議な話シリーズです。

今月の体育の日の時の出来事です。どういうふうに書こうか考えているうちに今に至ってしましました。先に結論から言うと、連休中に県外の某神社に参拝したら、御利益があったということなんです。

そこには、パワースポットブームのせいで、連休中に非常に多くの観光客が訪れていました。複数の社を抱えているのですが、どの駐車場に泊めるのも一苦労なほど混み合っていました。社名を伏せるのは、もしかしたら神様は大挙して押し寄せる人間に、困惑しているのではないかと思うからです。実際、しめ縄が張られたご神木のうろに空き缶を捨てていく不届き者がいました。

神聖な場所に人間が大挙して来ると、その人々が吐き出す邪気に穢れてしまう、という話をスピリチュアリストのブログで読んだ覚えがあります。もちろん、神社は神様を祀るだけでなく、人が参詣してもいい場所であるはずですが、ものには程度というものがあります。あの人数はいくらなんでも多すぎでした。

参道の奥にさらに鳥居があって、その奥に本宮があるのですが、本宮の入り口前に行列が出来て三十分待ちでした。まるで初詣の時みたいでした。

占い好きなミーハー女の私は今までにもいくつかパワースポットと呼ばれる社に行ったことがあるのですが、この社は明らかに空気が違いました。空気の違いなんて、私初めて感じました。日本語でどう形容して良いかよくわからないのですけど、清冽で引き締まった感じがしました。

私は参拝の作法に則り、私は手水場で両手と口を清め、参道の端っこを歩いて本堂に入りました。お賽銭を入れてから、私は二礼二拍一礼をし、「どうか、我が身を清めてください」と祈りました。目を開けて本堂の空気を吸い込むと、そこは更に清冽な空気の漂う場所でした。

それから私は車に乗って高速で自分の住む町に帰りました。数時間の道すがら、私はあることに気づきました。肩が軽いということです。私はひどい肩こり持ちで、長時間車を運転するとそれが発症してしまうものでしたが、その時は全然平気でした。

家に帰ってしばらく様子を見ていましたが、10日以上立った今でも、肩は楽なんです。少なくとも、頭痛まで引き起こすような鬼のような肩こりは解消しました。以前は整体やマッサージによく行っていたのですが、もう大丈夫です!

私はこれをあの社におわす神様のお陰だと信じています。後日、ネットで某神社の情報を入手すると、「ガンが治った」とか色々な霊験が報告されてありました。私はあの日以来、その神様に感謝する日々を送っています。いつかお礼参りに行きたいのですが、人混みが減る頃に行きたいなと考えております。

昔は、外国かぶれの私は外国に移住したいなんて思っていましたが(今でも結構思っていますが)、いやはや神様の住まう国も捨てがたいですね。日本はやはり神国だったことを実感しました。


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posted by 館主 at 01:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先の大戦では、日本人は精神主義で戦って、みじめな敗北を喫した。
日本人の精神力が足りなかったために、戦場においても工場においてもアメリカ人の精神力に負けたのだと考えていたとしたら、それは日本人の誤りである。

日本人には、意思がない。だが、恣意がある。
だから、日本人には能動はないが、願望はある。
米空軍が日本の都市を爆撃し始めたころ、航空機製造業者協会の副会長は「ついに敵機は我々の頭上に飛来してまいりました。しかしながら、我々航空機生産のことに当たっておりますものは、かかる事態の到来することは常に予期してきたところでありまして、これに対処する万全の準備をすでに完了いたしております。したがいまして、何ら憂慮すべき点はないのであります」と述べた。
すべてが予知され、計画され、十分に計画された事柄であるという仮定に立つことによってのみ、日本人は、一切はこちらから積極的に欲したのであって、決して受動的に他から押し付けられたものではないという、彼らにとって欠くことのできない主張を持続することができた。

日本人がどこで希望的観測の罠に落ちるのか、現実と願望 (非現実) を取り違え精神主義に走るのか、きちんと振り返り反省することはほとんど不可能である。
それは、日本語に時制がないからである。
日本語脳においては、現実と非現実を異なる時制を使って表現することができない。
現実を現在時制の内容として表し、願望を未来時制の内容として表すことができれば、それぞれの内容は別世界の内容となり、混乱することはない。混乱しなけれぱ゛キリスト教のような宗教になり、混乱すれば原理主義となる。

だがしかし、我が国では、一つの事態の肯定と否定は、同じ世界のこととして言い表される。
人々は、無為無策でいながら現実が願望へと突然変化 (反転) することをひたすら願うものである。
言霊の効果の出現を望んでやまない。
必勝を心の底から祈願すれば、玉砕も勝ち戦に見えてくる。
これが、日本人の精神主義の本質である。
日本人は、祈願を他力本願・神頼みとしておおっぴらに認め合っている。
そして、この閉塞状態が日本人の知的進歩の限界となっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2010年11月30日 16:37
難しい言葉をならべておられるのでよくわからなかったのですが、端的に言うと異論を投げかけておられるのでしょう。

政治に結びつけたり、政教結合せよと言っているわけでもなく、ただ単に日常生活の中に神様の恵みを見出して、感謝することで幸せを感じたいのです。

ささやかな世界の話なのですが、どうしてそーゆー難しい話になっちゃうのかなぁ? わたくし全くわかりましぇん。
「日本語には時制がないからです」の辺りの話は、申し訳ないけど意味不明でした(^^;) 何故、キリスト教は混乱してない宗教なんでしょう(どういう定義で)? イスラム教とか仏教はダメなの?

先の大戦で敗北した理由は、神道への信心の(非科学的なものに頼っていた)せいではありませんよ。
日本は負けるべくして負けたのです。
アメリカとの軍備や国力の差は、山本五十六などの知識人から見たら歴然でした。
「神風がふくぞ」とか「神国は強い」などと言うのは、あくまで軍部によって神道がプロパガンダに利用されただけの話です。
戦争を仕切っている上層部はそんなこと、本気で思っちゃいませんでしたよ。
そんな負け戦に突入したのは、「神国は強いはず」だと勘違いしていたからではなく、外国の列強に追いつめられ、苦境に立たされたからですよ。開戦せざるえない所に追いつめられたからです。

時々、ろくにあいさつもせずにやってきて、匿名なのをいいことにエラソーに持論を書きまくっていく人がいます。いきなり人んちに来て、「祈願は他力本願」「知的進歩の停滞」だとは、あんまりですねえ。他者にもの申すよりも先に留意すべき事があるのではないでしょうか。
Posted by 館主 at 2010年12月01日 00:47
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