2010年10月25日

スピ的観点から見た靖国

う〜〜ん。22のアクセス数がいつもの2倍でした。アクセス解析してみよっと。

ま、ともあれ、今日の短い記事を書きます。

スピリチュアル好きミーハーの私はパワスポ巡りが趣味なんですが、先週末は近隣の護国神社に参りました。田舎の小さな社です。

尖閣諸島の事件について一連の記事を書いた私ですので、無論、護国を祈願いたしました。

そこで、靖国神社にまつわる諸々の問題についてちょっと考えました。世論では、閣僚が公式参拝してはいけないとか、戦犯を分祀せよとか、声が聞こえるのですが……。

思うに、全ての英霊を合祀してきたのは神様の御心ゆえではないでしょうか? 昔から合祀されてきたというのには、それなりに理(ことわり)があるはずです。スピリチュアル的観点で物を言うと、それを人間の勝手な都合で分祀などするべきではないのではないでしょうか? まして夷狄に言われて分祀するなどとは、神様にしたら言語道断なことなのではないでしょうか?

「分祀をしよう」だの「靖国なんてやめて他の追悼施設を作ろう」だのと言って実行する政治家には、天罰が下りますよ(と、わたし的には思っちゃいます)。

そもそも、である。夷狄の狙いは本質的なことではなく、難癖を付けることにあるのだから、追悼施設を作ったところで今度は、「追悼施設の何が気に食わん、かにが気に食わん」と、いずれにしてもあら探しをしてくるでしょう。いちいち相手にしてたらキリがないです


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posted by 館主 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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