2007年06月17日

子どもはペットではない

最近、フェミニズムがらみのコメントをいただくので、総括したいと思う。


主婦の就労についてである。例外はあるとして、共働きをする大半の理由は高い生活水準を維持することだろう。バブルを経験した人々は、もはや昭和期のような清貧な生活を送ることに慣れていない。

それはそれでいい。ちょっとした贅沢のために働くのは、結構なことである。

だけど、せめて子どもがある程度大きくなるまで、家にいてもいいんじゃないですか? と私は問いたいのである。お金を稼ぐのはそれからでも十分なのではないですか?と。


当方の遠縁に大学教授の夫婦がいる。三十路の一人息子は引きこもりだ。-------------------------------

父親は誰もが知っている名門私立大学の名誉教授である。一方、母親は女子大の教授で、若い頃はフルブライト留学生だった。

この家庭の場合、明らかに家庭が手薄で息子が引きこもりになったのだ。もちろん、裕福だからベビーシッターや家庭教師は雇えた。でも、子育てってそんなものじゃないことが、結果を見ればわかる。

夫妻曰く、その息子は「難しい数式が解ける」らしい。

それがどうしたというのだ?

そんなフォローをしているから甘いのだ。勉強が出来なくても、社会に適応している立派な若者たちが他所にはいっぱいいる。
教授夫婦は自分たちが死んだ時のために、貯金を残すつもりなのだそうである。責任を果たすということは、そういう後始末をするということよりも、成長期にちゃんと育てることではないだろうか。


話は逸れるが、この夫婦というのは、当方の大叔母の嫁ぎ先の一族である。エリート一族らしい。大叔母は田舎から出てきた高卒の嫁だった。しかも彼女の娘は勉強が苦手ときていたから、「どこぞの馬の骨の血だ」と陰口を言われたようだ。

あの夫婦に言われる筋合いは無いと思うのだが。


また、当方の知己にも大学教授夫妻の娘がいる。

そのヒトもなんかヘン。

30代半ばにして未だ学生。未だかつて就労経験は無い。もちろん独身。まあ、勉強しているだけまだ、引きこもりよりはマシである。

親の金で学生生活を続けるいい身分だ。何でも、中学生の時に、母親が一年間海外研修へ行ってしまったので、グレたのだそうな。で、その時に入信したのが、某新興宗教だった。

彼女は、毎週礼拝に赴き、親からの仕送りの中から、多額のお布施を払っている。


当方は自分が勤める機関にいる、青少年向けの就職相談員のおじさんとよく話をする。共働きの夫婦が、定年間際になって自分の子どもが就労していないことに気づき、慌ててハローワークに駆け込む−−ということが世間ではままあるそうだ。


大学教授ともなれば、生活のためというよりもむしろ、やりがいのために働いているのだろう。だが、子どもを犠牲にしてまでの『生きがい』って、一体何なのだろうか?


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posted by 館主 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

知育、徳育、体育といいますが、最終的に人が喜びを得るのは、人間関係を通して意外ありません。

お金もある意味豊かな人間関係から生まれるものだと思います。

こどもに人や社会との付き合い方を学ばせ、鍛錬させるのは親の大切な責務でしょうね。
Posted by タツ at 2007年06月17日 22:03
>知育、徳育、体育>
おお、さすがタツさん、教育用語をご存知で。

>最終的に人が喜びを得るのは、人間関係を通して意外ありません。>
外に出れば、特に働いたりなんかすると、怒られたり嫌な目にもあいます。引きこもっていれば傷つく心配は無いけど、人間関係を通して得られる喜びも無いでしょうね。

>鍛錬させるのは親の大切な責務でしょうね。>
そうやってタツさんも子育てがんばっていらっしゃるのですね。

Posted by 館主 at 2007年06月18日 20:10
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