2006年03月25日

国家の品格2.近代的合理精神の限界について

先週に引き続き藤原正彦著「国家の品格」についての感想第二段である。前回の記事では英語学習者として藤原氏の英語教育観、国際感覚について言及したが、今回は主に近代合理精神の限界について書きたい。

彼のこの説に対して「私もちょうどそう思ってたんだよー」なんて調子のいいことは言わないが(笑)、「へー、なるほどねえ」と思った。主にアメリカにおける、論理万能の尺度に、先生は大いに異論を唱えている。何でも理屈で説明ができないと、物事を説明&納得できないとなると、すぐにorやがて行き詰まってしまうというのだ。

日教組の大会でのある出来事を先生は例として挙げている。集会に参加した高校生に「何故人殺しをしてはならないのですか?」と聞かれ、アカ教師たちはすぐに理屈を思いつかなくて答えに窮してしまったという。「逮捕されるから」「親族が悲しむから」という理屈はもちろん説得力に欠ける。「自分がされて嫌な事はするな」という理由でさえ、理屈屋のガキには「別に嫌じゃないとしたらぁ?」なんて反論されそうだ。
藤原先生は答える。そんなものに理由はない。悪いものはとにかく悪い。子供にはそういうふうに説かねばならない。先生は武士道精神を挙げて、卑怯なことをするなと説く。

何でも法律や科学や理論で説明できないといけないということになるから、世の中おかしくなるのだ。クレームママが学校に詰め寄り、市民団体が妙なスローガンを掲げる。藤原先生は今取りざたされている「ポリティカル・コレクトネス」という考えに警鐘を鳴らしている。「弱者=正義」という、その人が女性、外国人、障害者等は善人だという短絡的な考え方だ。皆が言葉狩りを恐れて、無難な言動しかしなくなる。論理は確かに有用だが、それが万能だと偽善に満ちた非常に窮屈な世の中になる

アメリカ主導のグローバル化に批判的だが、私が彼に耳を傾けるのは、それが決して左翼的反米思想ではないからだ。左派は覇権国家アメリカが嫌いなくせに、どーゆーわけか特定アジアの覇権国家をひいきしている。アメリカの対抗勢力=善/仲間というのは非常に短絡的な発想なのである。
先生が嘲笑する「世界市民」という偽善のお題目は、左翼思想家の常套句である。そんなのはフィクションであり、まずは家族と郷土を愛せない人間が、世界へ出て行って信用されるだろうか?と彼は説く。

また、評論家福田和也のように「自由」「平等」「民主主義」という概念にも疑問を投げかける。そういう欧米の合理的平等精神が、まやかしの偽善で世の中をおかしくしてきたのだと言う。これは、今の戦後日本人の意表をつく意見だ。何故なら日本人は「民主主義こそ最良、絶対正義」と教わってきた。
しかし、「主権在民」ほど危険なものはないと先生は語る。何故かというと良く言えば無垢で悪く言えば無知な一般人は、マスコミの煽りにすぐ乗っかってしまうからだ。朝○あたりのマスコミの世論操作に操られて、政権が混乱してしまっては困る。独裁政治家の煽りにだってすぐに乗ってしまう、実は一番戦争を起こしやすい人々なのだそうだ。
だから先生は、日本は一万人のエリートを養成せねばならないのだという。そういう意味で昔の旧制高校の果たす役目は大きかったのに、GHQに解体されてしまったのは残念なことだという。確かに東大卒の官僚はいるが、彼らは単なる受験バカなのだそうだ。真のエリートとは受験科目だけではなく、政治、文化、科学、芸術等について幅広く知識のあるインテリのことを言うそうだ。悪平等を学校制に持ち込んだために、戦後真のエリートが日本から消えてしまったと彼は嘆く。

……とまあ、各項目で賛否両論あるのだろうが、なかなか面白いのでオススメの一冊だ。


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福田和也の「この国の仇」について書いた書評はここ。


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2006年03月18日

国家の品格1英語教育と国際人

藤原正彦の「国家の品格」である。項目ごとに思うことがいろいろあり、それを全て書くと長文になってしまうので、分けて書くことにする。ビジターは概してよほど興味深いトピや上手い文章でないかぎり、長文を読みたがらないものである。

で、私がまず書くのは、藤原先生の英語教育観である。かくいう私の専門は英語言語学だったので、この分野に関しては自分なりの意見がある。「小学校から英語を教えよ」などというのは、英語のできない素人の意見なのである。英語教育の第一人者である木村松雄先生も、安易に小学校に英語を導入することは性急だとおっしゃる。教育ママたちがせっせと子供を英会話塾へ通わすのは、彼女らに英語ができない人が多いからではないかと思う。英語ができないので英語コンプレックスがあるのだ。
日本人の英語が下手なのは、英語教科の導入が遅いせいでもなく、中高の英語の先生が悪いわけでもない。藤原先生のおっしゃるように印欧語族の英語と日本語とでは、構造と発音の点からも、言語的に全く別物なのである。ゆえに例えばオランダ語話者などと比べると、言語間の共通点の違いから日本語話者の英語習得は難しいのである。アジアの言語でも、中国語は語順が英語と多く共通するものがあるので、中国人の方が英語を習得しやすい。

そういう背景もわからずに、ただ受験英語や何ちゃらがダメなんだ、というのは素人意見なのである。それではどうしたら良いか、私も決して超上手いわけではないが英語を話せるようになるコツを教えよう。素人ママたちは何か画期的なメソッドがあれば、子供が自然に英語を話せるようになると勘違いしているのだろうが、そうではない。英語力を高めるのは努力に他ならない。学校が縦割り行政を改めて教師の質を変えたところで、受け身で授業を受けているだけでは決して上手くはならない。他の子はしないプラスアルファの努力を自分から課外でしないと、英語なんて上手くはならない。手前みそだが私の場合、海外に留学する前からTOEFL550点(英検1級程度レベル)は越えていた。自慢できるほどのスコアでもないので、そのくらい日本にいながら取る努力はできる。

もちろんモチベーションを上げてやるのも教師の務めだが、最終的には生徒本人の努力と関心がものを言うのである。シンガポールのように現地語を犠牲にして、徹底したバイリンガル教育を施し、数学も社会も英語で行なえば、受け身でも学校教育で英語を話せるようになるかもしれない。しかし日本ではその必要はないどころか、藤原先生のおっしゃるように、そうしてはならないと私は思う。先生のおっしゃるように、初等教育では英語よりもまず国語の教育の方がずっと大切である。だいたい日本語すら発展途上の段階で別の言語を多量に頭に入れたら、混乱状態が起きるではないか。9歳前後というのは言語習得の臨界点なのだそうである。そんな時期に親の都合で海外にいた子女が、中途半端に他言語環境にいると結局母語と第二言語どちらも中途半端になったという。

そして大いに共感したのは、国際人とは英語が流暢な人ではないという先生のお言葉である。まったくそのとおりである。私の知る、高校から現地校に留学している日本人の青年は確かにきれいな北米語を話すけれども、尊敬語と謙譲語の違いもわからないし、日本の古典に関する知識も当然皆無である。藤原先生は日本の文化と歴史を習得し、祖国に誇りを持っている人間こそ真の国際人であると説く。英語なんて上手くなくて良いのだ。日本に誇りも持たず、特定アジアからの留学生あたりに歴史問答をふっかけられてタジタジになるどころか、「僕は君らの味方だ!」と言っているようじゃアホなのである。向こうの人に「ソウセキの本を読んだことがあるか?」と聞かれて「よくわかりません」などというのじゃ情けない(そういう意味で、別の項に書いてあった昔の旧制中学・高校の役割は、真の教養人を育てるという意味で大きかったが、それはまた違う回で書く)。

教育ママと違って私は、将来子供を英語スクールやアメリカンスクールに通わそうなどとは全く思わない。大枚はたいて駅前留学するお金があるなら、年に一度くらい英語圏に連れて行って現地というものを見せてやる方がずっと良い。藤原先生もおっしゃるように、外国語よりも読書の方がずっと役に立つ。お受験に現を抜かすくらいなら、本を買ってやった方が情操教育のためにはよほど良い。


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2006年02月13日

科挙―宮崎一定著

科挙制度について、1960年代に京都大学の名誉教授によって書かれた新書だ。そこら辺に転がっていたから読み始めたのだが、興味深い話なのでどんどん読み進めてしまった。新書は偉い評論家や大学教授によって書かれているものが多いが、それらを読むと世の中にこんなに一つのことに詳しい人間がいることに感心する。しかもこの本の第一稿は戦時中、おそらく二十代だった宮崎氏によって書かれたという。そんな時代にそんな青年がこれほどまで詳細な科挙論を書けるとは驚きだった。同じ中公のシリーズには「客家」とか「則天武后」「宦官」など面白そうなタイトルが並んでおり、とりわけ中国通ではない私でも面白そうだと感じた。これは暇な時に教養を深めるために読む本だな。

科挙制度とは昔の中国の官吏登用試験のことなのだが、古今東西どこを探してもこれほどハードな試験はないだろう。受験のために何万もの漢字、古典を暗記し、試験自体は三日三晩継続する。さらにこの試験の透明性についても他には例を見ない。カンニングや裏口入学、替え玉受験に対しては、受験生も監督も厳しく罰せられ、時には受験資格を剥奪されたり流刑に処せれたりすることもある。入試はともかく、採用では何かと縁故入社や大学閥が取り沙汰される現代日本と比較すると、非常に公正な制度だ。
宮崎先生は、この科挙制度を通して現代日本の入試や採用について述べている。総合職や資格職は別として、女子の採用はまず縁故が物を言う。そんなにあくせく受験勉強なんてしなくても推薦で入れる女子大に入り、親のコネで一般職に就けばいいのだ。驚いてしまうのは公務員の世界にさえ縁故採用が意外に多いということだ。知人は地元の代議士に札束を包んで嘆願をしにいった。取引先のある民間はともかく、公的機関がそんなことでいいのだろうか? 私も聖人君子ではないので進退窮まったらそういう手を使うかもしれないが(笑)。実際使えるツテは少々あるが、そうしないのはひとえに嫌味な伯父さんに頭を下げたくないからだ(笑)。受験にだってきっと特別ルートはあるんだろうけど、世の中なんてそんなものといえばそうなのかなぁ……。

科挙の公平性は、何もヒューマニズムの観点において成り立ったわけではない。そもそも科挙制度というのは、門閥貴族や軍人の勢力を抑えるために、広く一般から官吏を登用することを目的として始まった。縁故採用が横行すれば特定の閥ができる可能性もあるので、君主の専制が危ぶまれる。
四民平等を謳って出発した戦後の中国だが、階級の差は大変激しいのだという。そして官僚や企業の上層部はすべて親族で牛耳られている。上層部の華人のフラットメイトが「中国は共産党以前はとてもソフィスティケートされていたのよ」なんて言っていたが、現代の中国人も科挙の時代を思い出してみてほしいものだ。


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科挙―中国の試験地獄Amazon.co.jp
アマゾンによると、東洋史専攻の学生にとっては必読の書なのだそうだ。
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2006年01月22日

養老孟司、バカの壁―火病を科学的に検証

この本は解剖学者の養老孟司が社会の様々な事象を、脳の働きを通して説明した本だ。私のような人間にはちょっとムズカシー内容なので、本はたいてい速読をする私もゆっくり時間をかけて読んだ。彼の言うことを、自分のフィルターにかけて自分の都合の良いように解釈しているかもしれないが、ともかく感想を述べる。


「『話せばわかる』なんて大うそ!やっぱり問題は壁だった」、「知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないということは、日常よく目にすることです。これをそのまま広げていった先に、戦争、テロ、民族・宗教間の紛争があります」という帯の言葉に強く引かれた。というのも私は以前、ネット用語で言うところの火病を発症した人間に出会ってどえらい目にあわされたことがあるからだ。物理的な破壊活動こそ起こさなかったけれども、彼女の脳みその構造はまさしくイスラム原理主義者のそれと同種のものだろう。養老先生のおっしゃるところの「人間だったら普通はこうでしょ」というのが不思議なほど通じない遣り取りの間には、明らかにバカの壁が立ちはだかっていた。

尊師の言うこと、アラーの教えが絶対的に自分を支配する連中にとって、それを否定する人間は許しがたい悪なのであり、ポア(誅殺)すべき存在なのである。だから原理主義者などは、ほんの些末なことでも気に入らなくて、自分たちの信仰が侮辱されたと思うと、相手を叩きのめそうとするのである。普通の人間であれば、たとえ自分のポリシーや信仰を批判されたところで、怒りこそすれど暴れたりはしない。だが、その火病患者は自分のポリシーを否定されたと感じるや暴れ出し、私に一方的に悪者のレッテルを貼る。しかも当人は自分が暴れているという意識が希薄で、偏見と戦う崇高な気分にすら浸っている(原理主義者でいうところのジハードである)。かなり失礼な罵詈雑言を吐いているくせに、「あえて厳しいことを言わせていただきますけど…」などと、あたかも自分が説教をたれているかのような口ぶりで言うので、呆気にとられてしまった。途中で「もうコイツは宇宙人だ」と思って逃げたが、しつこくUFOに追撃された(笑)。言葉の暴力というと私の主観的な感じ方だと思われてしまうが、実際ストーカーまがいの迷惑行為も被った。これを先生はY=ax(Y=出力、X=入力)の係数aが、常人のそれと違って無限大だからだと説明する


こんな愚痴から初めてしまったが(笑)、こういうバカの脳みそというものがどんなものであるかを養老先生は説明している。それは物事を多面的に見られない、一元論を頑なに信じている輩のドタマである。自分の世界の強固な壁の内側に住み続け、相手の立場、壁の外の世界を見ようとしないのである。勘違い女がいるだけですむなら良いが、ああいう手合いが思想集団やカルト集団、国家になると恐ろしい。つくずく平和思想家の「話せばわかり合える」という美辞麗句が生ぬるいことかわかろう。養老先生は外務官僚が二世ばかりなのを嘆いていたが、鈴木宗男氏のような人に罵倒されて縮み上がっているようでは、海千山千の特定アジアを相手にできるのだろうか?
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2006年01月14日

長谷川慶太郎―戦争と平和

長谷川慶太郎の「戦争と平和」を読んだ。この本は主にアメリカを中心とした世界の構造について述べている。

漠然とテレビのワイドショーニュースを見ていると、イラク駐留というのはいったい何なのかがわからない。国際貢献なのかアメリカに引きずられているのか、マスコミの歪曲した報じ方ではその本質がわからない。本著は現実的な視点から、アメリカという超大国の主導の下いかに日本が往くべきなのかを説いている。アメリカの覇権に逆らったところで逆らいきれない部分があるので、彼らが敷いたルールの上でいかに上手く立ち回るかこそが現実的なのだ。筆者は「大局」という言葉が好んで使うが、目先の小事にとらわれない大局的な見方が本著の売りだ。

昔、ただテレビのニュースしか見ていなかった頃、私も自衛隊のイラク派兵にはどちらかというと否定的だった。自衛隊がますます軍みたいになっていくではないかと、テレビの影響で危惧していた。特に関心があったわけでもないが、そんなことをボンヤリと考えていると、傍らで母が「どうせ行くならゴチャゴチャ言わんと、テロ撲滅にしっかり貢献すればいいのよ!」と言い切った。昔、左翼の父とやや保守派の母は、テレビを見て口論をしたものである。「じゃあ、お前は息子が兵隊にとられてもいいのか!」と父は左の常套句を叫んだ。
アメリカに協調することで日本までテロの危険にさらされるのは、私はご免だった。派兵とか駐留なんてしなきゃ良いのにと思っていた。テロリストとは「話し合いで」もしくは外交手腕で粘り強く対峙すれば良いのにと、生ぬるいことを考えていた。

テロに対しては毅然とした態度で臨まないといけないのである。昔のハイジャック事件で、当時の福田首相が「人命は地球より重い」などといって犯人の要求を飲んだが、あれは人道的な見地から発した言葉ではない。時の政府がテロに上手く対処できなかったのをごまかす発言だったのだ。その息子が福田康夫だというからまったく皮肉なものだ。続きを読む
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2005年12月07日

村上龍のよくわからんコラム

女性誌に連載していたコラム「恋愛の格差」を単行本化したものを読んだ。若い女性に向けた恋愛観とか人生観とか社会観を語っている。結局この人は何を言いたいのかよくわからないので、途中で投げた。やはりこの人は文芸書いてるのが一番良いんじゃないかな。構造改革だのフリーターだのDVだの社会問題にも触れているのだが、やっぱり評論家に比べると浅いんだよね。結局結論が何かわからない。田原総一郎みたいにああだこうだ言うけど明確な結論は言わず、安全な立場から離れない。続きを読む
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2005年11月26日

小林よしのり考察

よしりんを語るには、彼の著書を読んでなさすぎの私なのだが、ちょっと思うところはあって。続きを読む
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2005年05月30日

井形慶子のイギリス本


母が高尾慶子の他に、井形慶子のイギリス本も送ってきた。W慶子である。「古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家」(新潮文庫)である。井形さんは住居に焦点を当てたイギリス礼賛本を書いている。


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2005年05月29日

「くたばれ専業主婦」等毒舌本について


「負け犬の遠吠え」なんて本が去年流行り、それに当てはまる私も妙な気分だった。当事者としては無下に「偏見だ!」などと怒るでもなく(ま、偏見といえばそうなんだが)、結構楽しんで読んだ。わざわざ買うのもなんなので、本屋で所々を立ち読みだったが(笑)。酒井さんの考察はなかなか鋭い所を突いているし、確かにハイミスには傾向がある。

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昨今はハイミスが槍玉に上げられたと思いきや、数年前は専業主婦だった。
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高尾慶子が戦争を語る


高尾慶子の著書については、過去ログでも触れたのに、また取り上げてしまうのは、母が彼女の著作二冊をわざわざ日本から送ってきたからだ。私読んだことあるのに(苦笑)。やはり彼女の本は皆面白いと思うらしい。大衆は本音トークが好きなのだ。「ユダヤ人の雇用者は皆こすかった」とか「スラム街の黒人はどうしようもない」とか、皆が思っているけど言ったら怒られそうなことを、彼女はスパッと言ってくれる。爽快だ。つい先日、日本人の友人と彼女の本の人気について、そういう分析をしていた。
久々は読み返すと、やっぱりテンポが良かったので、また記事にしてしまう。こうなってはもう慶子オバサンの回し者だ(笑)。特に慶子おばさんの戦争に関する記述が興味深い。



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2005年05月06日

高尾慶子の本について


ブログを休んでいる間にも、書きたいこと−まあ他愛無いことなんだが−が溜まってきて、一日2個以上のペースで更新したくなる。今回はエッセイスト(!?)の高尾慶子について。関西出身のパワフルなオバサンが、英国滞在記を綴っているのだ。英国留学を考えるずっと前、英国になんか興味も無かった頃、彼女の本を読んだら面白かった。毒舌系の面白さに、続編も読んでしまった。ちなみに彼女の本を購入したわけではなく、全て近所の市立図書館で借りたのだ。アマゾン等へのリンクをつなげてはいるが、プロフや写真を参考にして欲しいわけで、図書館の蔵書にあるなら、是非それを利用すべきである(まあ、買ってくれたらくれたでうれしいけど)。というわけで、まずは私などの説明よりもアマゾンのプロフを引用するので、お読みあれ。

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